- 著者プロフィール
秘書室着任、そしてご対面
ドタバタ”かばん持ち”のスタート
入れ歯と赤字決算
店巡回―カメラ、糖度計、ベータムービー…
CEO、フェスティバルホールに出演す!
学歴と“オネスト”―除籍から中退、卒業へ?
理念の人―稀代のコピーライターとしてのCEO
新しいモノ好き―時々言い間違い
オーナーシップ、そして事業承継〔ほか〕
1954年大阪市生まれ。同志社大学法学部卒業後、1977年に株式会社ダイエーに入社。中内功CEO秘書役・総合企画室長・経営企画本部長等を歴任。入社5年目、26歳のときに秘書室に着任。“かばん持ち”として4年間、CEOの間近で仕える。その後、専務に就任した長男・中内潤氏の秘書役を経て、経営企画の分野に異動。リクルートやハワイ・アラモアナショッピングセンター買収などの大型M&A案件、ローソンの上海進出などの事業開発案件を手がける。一方で、社内組織に初のカンパニー制を導入。また、ローソンをはじめとする関連会社の上場準備に中心的な役割を果たす。1998年、株式会社レコフ入社。2008年、COO・経営企画委員会メンバーを経て、2010年代表取締役社長に就任、現在に至る。
書評レビュー
日本で最初にCEOを名乗った経営者とその秘書の物語
日本で初めて最初に自らをCEOと名乗った経営者をご存知でしょうか。それが「ダイエーの創業者」であり、「流通革命の第一人者」とも呼ばれた、伝説の経営者の一人でもある「中内功」氏です。
そんな中内氏の秘書として、文字通り「かばん持ち」だったのが、筆者の恩地氏(現在M&A仲介大手の株式会社レコフ代表取締役社長)です。本書は、そんな中内氏を一番身近で見ていた筆者による、中内氏の素顔とその経営手腕に迫った一冊。
この書評では、なぜ伝説のカリスマ経営者とまで呼ばれた中内氏率いるダイエーが、経営破たんに至ったのかを描いたエピソードをご紹介します。
ダイエーが破綻した理由~オーナーシップと事業承継
なぜ、戦後の小売業をけん引したダイエーが経営破綻してしまったのでしょうか。多くの人間が、当時のダイエーが推し進めていた「事業の多角化」が原因だったと言います。
しかし、当時の社内事情に誰よりも精通していた筆者は、ダイエーが多額の資金を投じて買収した、マルエツ、ユニード、アラモアナショッピングセンター、リクルートなどは年々十分なキャッシュフローを生み出していたといいます。
ダイエーの多角化は収支で判断するならば成功していたということができ、将来の成長性を考えるとダイエー本体を凌駕していたのです。それならば、なぜダイエーは経営破綻してしまったのでしょうか。その真の原因について筆者はこのように述べています。
「わたしは、『オーナーシップへの執着』がその主たる原因であると確信する。」
中内氏は、ダイエーの株式シェアの20%を確保することに心血を注いでいたといいます。また、そんな中、中内氏は、後継者と目されていた自身の子供にさえも、事業承継をうまく行えず、経営をバトンタッチできなかったと、筆者は述べています。これが社内に大混乱をきたしました。
さらに、外部から招聘して人望の厚かった当時の副社長を、自身の子供を後継者にしたいという欲求に負け、買収企業の社長に就任させ、ダイエー本体からスピンアウトさせてしまいました。
オーナー系企業は、トップダウン式の経営方式が強みであると同時に、こういった点が経営のほころびとなる(弱みとなる)という典型的な事例と言えるかもしれません。
本書ではこのほか、中内氏の入れ歯が壊れて、記者会見前に奔走する筆者の姿など、「かばん持ち」として仕えていた筆者だからこそ知りえたエピソードも多く、読み物としても飽きずに読むことができる内容です。
また、中内氏が伝説の経営者と呼ばれた所以である「感性の鋭さ」なども、ダイエーのキャッチコピーができるまでのエピソードを通じて読み解くことができます。
事業M&A会社の社長として多くの経営者を見てきた著者が、「ここまでのバイタリティをもって生活者の意識や価値観を変革した人間は今後も出てこないだろう」とまで述懐する昭和の名経営者の素顔が描かれた一冊です。「経営」や「事業承継」「オーナー経営」などに興味がある方は読んで損はない内容です。
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