『スバル―ヒコーキ野郎が作ったクルマ』
(野地秩嘉/著)

  • 本書の概要
  • 著者プロフィール
  • 目次
 戦後初のベストセラー大衆車「スバル 360」に始まり、海外でも人気の「アウトバック」「レヴォーグ」など、トヨタ、日産といった巨大自動車メーカーとは一味違う車づくりで根強いファンを持つ SUBARU(スバル)。本書は同社のルーツである戦前の中島飛行機時代まで遡り、その経営とものづくりの原点に迫った一冊だ。

 同社が中島飛行機、富士重工業、SUBARUに至るまで引き継いできたのは、航空機製造で培った「搭乗者の安全」を追求する姿勢であった。そうした技術と設計思想が、同社独自の安全支援技術「アイサイト」などとして開花したのだ。安全性はEV、自動運転、コネクテッドカーといった技術の大前提であり、近年むしろその重要性は高まっている。

 100年に一度と言われる業界大変革の中、2019年にトヨタとの業務資本提携を強化するなど、伝統と革新を両立しながら新たなフェーズに入ったスバル。同社がどのように未来を描いていくのか。ものづくりに携わる方はぜひご一読いただいたい。著者は人物ルポ、ビジネス、食や美術、海外文化などの分野で活躍するノンフィクション作家。

著者:野地 秩嘉(Noji Tsuneyoshi)
 1951年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、ビジネス、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書に『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『企画書は1行』『なぜ、人は「餃子の王将」の行列に並ぶのか?』ほか。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。『高倉健インタヴューズ』『高倉健ラストインタヴューズ』『トヨタ物語』『トヨタ現場のオヤジたち』『世界に一軒だけのパン屋』ほか著者多数。
プロローグ
第1章 富嶽
第2章 ラビットスクーター
第3章 スバル360
第4章 水平対抗エンジン
第5章 四輪駆動
第6章 田島と川合
第7章 業界の嵐
第8章 アメリカ
第9章 マリー技師の教え
第10章 LOVE
第11章 アメリカも変わった
第12章 百瀬晋六の言葉
長いあとがき

要約ダイジェスト

最初は軍用機製造から

 中島飛行機とは往時、東洋一の航空機メーカーだった民間会社だ。戦闘機の隼(はやぶさ)、鍾馗(しょうき)、疾風(はやて)は同社が開発したエンジン、機体であり、三菱航空機が作ったゼロ戦も、量産した機体数は中島飛行機の方が多い。最盛時は 147の工場、26万人の従業員を擁した巨大企業である。

 戦後になって解体され再結集してからも航空機開発を続けてはいる。しかし、事業の柱は自動車の製造で、現在の名称は SUBARU(スバル)だ。中島飛行機の創業者は海軍で軍用機の設計をしていた中島知久平だ。1917年、33歳だった知久平は生家のあった群馬県新田郡尾島町の蚕糸小屋に事務所を設け、「飛行機研究所」という素朴な名称の看板を掲げた。

 その時、彼に従った部下は6人しかいなかった。それから 20余年で同社は前記のような巨大企業に成長している。孫正義が率いるソフトバンクよりもはるかに短期間に、疾走するように成長したのが中島飛行機だった。

 飛行機専門家の軍人として第一次大戦の戦況を見守っていた知久平は巨大戦艦よりも、軍用機を開発した方が資源のない日本には向いていると考えた。しかし、大艦巨砲主義に傾いていた海軍本部に若手士官の考えを受け入れる度量はなかった。そこで退官し、民間人となって、自力で飛行機を製造することにしたのである。

 中島飛行機が会社としてやっていけるようになったのは、

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