- 本書の概要
- 著者プロフィール
前著では主に近代西洋哲学をもとに、より人間らしい人工知能を考えたが、今回は「東洋哲学」がそのテーマになっている。人工知能の基礎となる哲学を探求するこの連続セミナーで、著者は、荘子、井筒俊彦、仏教、龍樹とインド哲学、禅の思想を論じつつ、「最初からすべてがそこにある」という東洋的世界観をもとにAIの未来を探る。
著者によれば、これまで西洋哲学的な設計思想のもと発展してきた人工知能は、東洋哲学から学び、進化することができる。わかりやすい解説と図解によって東洋哲学の基礎を学ぶことができるのも本書の魅力だ。「AIに仕事が奪われる!」という論点から一歩踏み込み、人工知能の本質についてより深く理解するためにぜひご一読いただきたい。
京都大学で数学を専攻、大阪大学大学院理学研究科物理学修士課程、東京大学大学院工学系研究科博士課程を経て、人工知能研究の道へ。ゲームAI開発者としてデジタルゲームにおける人工知能技術の発展に従事。国際ゲーム開発者協会日本ゲームAI専門部会チェア、日本デジタルゲーム学会理事、芸術科学会理事、人工知能学会編集委員。
著書に『人工知能のための哲学塾』(ビー・エヌ・エヌ新社)、『人工知能の作り方』(技術評論社)、『なぜ人工知能は人と会話ができるのか』(マイナビ出版)、『〈人工知能〉と〈人工知性〉』(iCardbook)、共著に『絵でわかる人工知能』(SBクリエイティブ)、『高校生のためのゲームで考える人工知能』(筑摩書房)、『ゲーム情報学概論』(コロナ社)、監修に『最強囲碁AI アルファ碁 解体新書』(翔泳社)、『マンガでわかる人工知能』(池田書店)などがある。
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サイト:https://miyayou.com/
はじめに
第零夜 概観
第一夜 荘子と人工知能の解体
第二夜 井筒俊彦と内面の人工知能
第三夜 仏教と人工知能
第四夜 龍樹とインド哲学と人工知能
第五夜 禅と人工知能
総論 人工知能の夜明け前
解説 言葉が尽き、世界が現れる(大山 匠)
要約ダイジェスト
西洋の構成主義、東洋の混沌
僕の仕事はゲームキャラクターの人工知能を作ることだ。この15年、キャラクターたちが自分自身でゲーム世界を感じ、考え、行動するように自律的な人工知能を開発してきた。多くの人工知能の研究ではアルゴリズムを探求するが、ロボットとデジタルゲームにおける人工知能は身体を含む自律した知能全体を作ろうとする。
仮想的な生命を作ろうとするものは、常に哲学的問いに直面する。生命とは何か。知能とは何か。身体とは何か。生きるとは何か。人工知能の研究は科学と哲学、工学のクロスポイントにあるが、そもそも「知能とは何か」という答えがまだない。
西洋の哲学は記述的で、分類して組み上げる構成的な主体としての人間から出発する。一方、東洋の哲学は最初から全部が自然の総体としてあるとみなし、そこから考える。この2つの思想は対照的だ。
まず、知能観について考えてみよう。西洋は「世界」と「人間」を対峙させる。そこには、神がいて人間がいて人工知能がある、という垂直的知能観がある。一方、東洋では、人間を含むあらゆる生物は同格の自然の一部だ。人工知能も同じ世界に含まれるパートナーである、という水平的な知能観がある。
そして西洋哲学ではアリストテレス以来、因果律・論理律の中でものごとを精密に分類し、知識を統合しようという流れがある。逆に、東洋哲学はものごとを分けようとする人間の思考を分けない場所まで戻そうとする。
「ものごとを分けない場所」に「全部が自然の総体としてある」「最初からある」ことを、荘子(道教の祖)は「混沌」と言う。例えば「万物斉同」は、いろいろなものが生まれては消え、消えては生まれるのが世界の本質で、固定した何かがあるわけではないという考え方だ。
「理」「無」「空」「道」など、東洋的世界観では、このように最初からすべてがある、というのが一つの共通思想になっている。したがって、人間の知的機能という表面的な「網」(認識のフレーム)ではなく、言語や記号に分節化する前の、混沌としての実体を世界に持たせるのが、東洋哲学から構築する人工知能ということになる。
唯識論と世界の立ち上がり方
仏教は煩悩から解脱することを目指す。しかし、「人間らしい」人工知能を作るために必要なのは、悟りではなくむしろ煩悩だ。AIには欲求がないし、この世に執着がないので、我々から見ると生物っぽくないのである。
なぜ執着できないかというと、