- 本書の概要
- 著者プロフィール
本書は、家業である同社の三代目を39歳で継いだ元社長自身の手による経営の記録である。独立系中小企業の武器はスピードだと言わんばかりに様々な施策を打ち出すアイデアマンとして、そして県の教育委員長なども務めた熱血漢として知られた著者の奮闘の軌跡と倒産劇が余すところなく描かれている。
生々しいエピソードとともに一読すれば、経営者には何が必要なのか、地域貢献とは何か、行政や大企業とどう向き合うかなど、経営をめぐる様々なテーマについて考えさせられるはずだ。地方中堅・中小企業や同族企業の経営層、二代目・三代目経営者はもちろん、これから起業などを考える若手にもぜひご一読いただきたい。
株式会社やまと元代表取締役社長。1962年生まれ。山梨県韮崎市出身。1912年(大正元年)創業の「スーバーやまと」の三代目として育ち、大学を卒業後、「いちやまマート」に入社。青果担当で修業した後、家業である㈱やまとへ入社。39歳で代表取締役社長に就任すると、経営改善に新手。赤字経営をV字回復させた。民生分野では県の教育委員長も務め、学校等で講演会は300回を超える。2017年12月に破産を申請。翌年3月、甲府地裁にて破産宣告を受けた。妻、放送局勤務の長女、デザイナーの次女の4人家族。
第2章 三代目の若造社長、復活をかけ改革断行
第3章 誰かが喜ぶなら、迷わず即断即行
第4章 頼まれたら、選挙以外は断らない
第5章 夢の街への出店で、見えたもの学んだこと
第6章 正義の味方やまとマン、教育委員長になる
第7章 やまと航海、終わりの始まり
第8章 生かされている身の上、感謝と恩返しで生きる
要約ダイジェスト
やまと沈没の瞬間
「平成29年12月20日午後4時45分、株式会社やまとの破産手続きを開始する」、甲府地方裁判所の一室に、裁判官の宣言が響きわたった。破産宣告である。大正元年に山梨県韮崎市で鮮魚店から商いを始めた「スーパーやまと」は、この瞬間に105年の歴史に幕を閉じた。
会社は倒産、自分も破産などというシナリオはまったく想定外だった。100年以上続いた老舗の坊っちゃんで、山梨県の教育委員長を務め、流通業界でも先んじて、買物難民のために移動販売車を走らせた。県内のレジ袋の有料化を推進し、生ゴミの堆肥化に取り組み、ホームレスを雇用し、企業規模に反してメディアの露出は山梨県ではナンバーワンだった。
「人とは違うやり方で、この厳しい流通業界を生き抜いてやる!」という闘争心――あまのじゃくで負けず嫌いであった私には、このやり方しか生きていく術がなかった。資産もノウハウもなければ、大手チェーンの傘下でもない。業界関係者はさぞかし溜飲を下げただろう。業界の闇や都合の悪いことを次々に世に出してしまう目の上のたんこぶが自滅したのだから。
ライフライン喪失で湧き起こる悲鳴
やまとが2012年より、韮崎市の協力で走らせていた買物難民向けの移動販売車が倒産と同時に停止した。もともと採算の合わない事業だったが、地域に支えられて商売をさせてもらった恩返しの意味もあり、6年前から始めたことだ。
批判は行政に向けられた。「早く移動販売を再開させろ!」「なぜやまとを助けなかったんだ!」、お門違いのクレームに市の職員も戸惑ったことだろう。一番悪いのは、この社会的責任を負った事業を継続できなかった私にある。
やまとは、山梨県の北西部にある県内で一番面積の広い北杜市に4店舗を構えていた。いわゆる山間地域の“ど田舎”で、大手企業も出店せず、スーパーと呼べるものは全部で7店しかなく、4店舗がやまとだった。その地域から一夜にして買物をする場所がなくなってしまったのだ。
やまとは居抜き出店の店舗が多かった。大手との競争に敗れて閉店してしまった店を、そのまま継続させたものだ。従業員を継続雇用し、